あいまいな日本の私の記憶の話

気になるのでさらに思ったことも書いてみる。
あいつは多分死んだ。元気だったけど実は病気だった。もしくは、すでに死んでいて、実は幽霊だった。そうだと分かって私はなんとなく寂しくて悲しい気持ちになったし、それよりも怖かったのはいつだったか。
私が小学生だった頃、毎年9月に近所の神社で相撲をとる行事があって、私が通っていた地元の小学校とちょっと遠くの小学校の児童が参加するんだけど、そのために夏休みに何日か相撲の練習があって、2年生ぐらいのときに他校の同じ学年の子とちょっと仲良くなって練習の後に遊んでいた記憶は割とはっきり覚えているんだけど、それに近い。でも、違うと思う。あいつの人物像に近いのは、どちらかというと他校の彼ではなくて彼から見た私の方なのではないかという感じだし。よる☆かぜの夏の夜っぽい感じと相撲をとっていたときの空気が似ているというのはあるけれども、関連付けできたのはそれだけだし。
人が眠っているときにみる夢は、脳が記憶を整理整とんしている途中の様子なのだと言われる。もしかしたら私にもどかしい思いをさせている犯人が昔みた夢なのだとしたら、整理整とんをする私の無意識の脳の機能は罪だと思う。ぐちゃぐちゃの途中経過を見せないでもっとうまいこと整理整とんしようよと思う。
整理整とんの途中で明晰夢になったら、整理整とんに支障が出るのだろうかという疑問を持った。
今後、よる☆かぜを聴くたびに、私は曖昧な怖い記憶を思い出すのだろうか。よる☆かぜの曲が持つ力なのか、あるいは、まぁありえないだろうけどサブリミナル音でも埋め込まれているのだろうか。