悪習

お歳暮とかお中元とか、今のところ私あてに届くのは、1シーズンで平均2個ぐらいなのだが、仮にもし将来、私の人脈が広がったら、もっといっぱい届くようになって、うんざりするのだろうかと思った。
そういえばあの人は、貴重なスペースを彼女の私物で占拠していて私たちは迷惑しているのだが、彼女の人脈はかなり広いだろうから、貰い物がいっぱいあって使いきれないのだろうか。
「お歳暮 お中元 うんざり」を Google検索してみた。けっこう引っかかる。悪習だと言う人もいる。私は悪習という言葉を使ったことが無かったと思う。今までだったら悪習と同じ意味を表現するときに、良くない習慣と言っただろう。語彙が一つ増えた。
悪習と言われることを一つ一つ世の中から消し去っていくとどうなるのだろうか、とぼんやり考えることが時々ある。すばらしくなるのか、つまらなくなるのか。何を以って悪習とするのか。
良い(あるいは善い)と悪いは、それぞれ譲る属性と奪う属性という表現に置き換えられるかなと思う今日このごろ。価値となる時間や空間や健康などを奪うものは、みんな悪なのかどうか。とびきり面白いゲームに時間を奪われたら、そのゲームは悪なのかというと、必ずしもそうではないと思う。奪われた時間の中で得られた、たとえば楽しいと感じた気持ちみたいなことと、損失、たとえばその後の人生に良くない影響が出たみたいなことをくらべてどっちが大きいのかによるだろう。